1989 羽田空港 Haneda Airport, 1989
Japanese Only.
今を去る1989年5月、ビッグバードが出来る前の羽田空港をご紹介します。年号が平成に変
わり、消費税が導入された年でしたが、航空業界では日航が完全民営化し、全日空が海外路線に
積極進出と躍動感に溢れていました。
※文中略号 JL:日本航空 NH:全日空 EL:エアーニッポン JD:日本エアシステム
HND:羽田 OSA:大阪(伊丹)
ビッグバード以前の昔ながらの管制塔。
展望デッキにある羽田航空神社。
羽田の七不思議の鳥居で知られる穴守稲荷神社。
穴守稲荷神社の謎の鳥居
今では撤去されてしまったが、羽田空港の旧駐車場には穴守稲荷神社の鳥居が残っていた。この辺はも
ともと穴守稲荷神社があったところで、神社そのものは別の場所に移転したが、この鳥居だけは撤去し
ようとすると関係者に事故や不幸が続発することから、長らく同地に残っていた。
JL933 B747-SR46 今はなき鶴丸+チャートライン塗装が眩しい。
JL1931 DC-10-40 沖合展開工事現場が見渡せる。
JL900 B767-246 当時の最新鋭機であるB767。
ジャック・ウェルチを敬遠した日航
日航はコンベアCV880の全損事故以来、日本では経営の神様として知られるジャック・ウェルチが
率いるゼネラル・エレクトリック(GE)のエンジンがトラブルを続発したことからこれを敬遠し、G
Eエンジンが基本仕様となっているDC−10でさえ、B747と同じプラット&ホイットニー(P&
H)社のエンジンを選択した。この傾向は次世代ジャンボことB747−400まで続いた。
NH802 B727-281 在りし日のB727。東京−山形線が最後となった。
NH741 B737-281 ミニジャンボことB737。後は運輸省のYS。
NH751 L1011 全日空の躍進に貢献したL1011トライスター。
EL847 YS-11 大島線に活躍するYS−11。
1966年は日本の空の厄年、2月4日は全日空の厄日
1966年(昭和41年)2月4日、札幌千歳発羽田行全日空60便B727−81(JA8302)
が羽田着陸を目前にした東京湾に墜落、乗客乗員133人が全員死亡した。同年11月13日には大阪
伊丹発松山行533便YS−11−111(JA8658)が同じく着陸目前の松山沖に墜落、乗客乗
員50人全員が死亡した。両事故とも着陸目前で当時の最新鋭機で同社は「事故の全日空」の汚名を着
る事になった。66年は日本での航空事故が多く、3月4日夜香港発羽田経由バンクーバー行カナダ太
平洋航空402便DC−8−43(CF−CPK)が濃霧の羽田への進入に失敗・炎上し乗客乗員72
人中64人が死亡、8人が重傷を負い、翌日の5日には世界一周航路東京・香港経由ロンドン行BOA
C(英国海外航空、現英国航空)911便B707−436(G−APFE)が羽田を離陸後富士山上
空を飛行中、乱気流に巻き込まれ空中分解、乗客乗員124人全員が死亡した。翻って71年2月4日、
英ロールスロイス社が経営破綻。このためトライスターに搭載する予定のRB211エンジンの開発が
新素材カーボン・ハイヒルの開発失敗と相俟って大幅に遅れてエンジンケースの強度不足を抱えたまま
世に出ることになり、74年9月4−5日の全日空トライスターの連続エンジントラブルにつながる。
更に76年米上院公聴会でトライスターのメーカーである米ロッキード社が日本政府高官への賄賂工作
を証言、後に田中角栄総理大臣や総合商社丸紅幹部、全日空のドンと言われた若狭得治氏らを巻き込ん
だロッキード事件に発展するのである。
JD201 A300-B2 当時は旧カラーのDC−9も健在。
JL125 B747−146B JA8164 HND−OSA
羽田18:00発、大阪伊丹19:00着の日航125便は、もともと123便と呼ばれていたが、85
年8月12日のジャンボ機墜落事故をきっかけに125便に便名変更された。このJA8164機はタイ
プ146Bすなわち国際線機材で、国内線専門のSR46とは異なる。ちなみにタイプを示す数字中「4
6」はボーイング社が日航に付番したカスタマー(顧客)コードで、このコードに基づき同じB747で
も航空会社別の仕様に造り分ける。ちなみに全日空のカスタマーコードは「81」。
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