波乱の幕開けとなった関東出張。
今日から一泊二日で関東方面へ出張します。
前回までと異なり単独行動になるため、朝一の新幹線に乗りました。こののぞみ200号の向こう側には土曜日から運用を開始する新27番線ホームが見えます。
横浜線で橋本まで行く予定が、十日市場から先で強風のため架線にビニール袋が絡み付いたため、その撤去・点検の余波で電車が動かなくなりました。
やむなく中山駅で降りて、タクシーで上溝(番田)まで向かいました。
最初の打ち合わせを終わり番田駅で相模線を待っていたら、更に砂塵が酷くなりました。
橋本から新宿まで京王線に乗り、新宿から中央線特別快速で東京に出て、東京から総武線特急に乗る予定でしたが、橋本発新宿行特急が全運休したため、この快速急行で新線新宿経由で市ヶ谷に出て、市ヶ谷から総武線緩行で錦糸町に出て、錦糸町から快速等で佐倉に向かうことにしました・
それでも、京王線のこの快速急行は笹塚付近で30分以上も停まってしまい、雪隠詰め状態になりました。
京王線のベタ遅れで予定の総武線特急には乗られず、先方には遅れることを伝えて快速で向かいました。
快速は千葉止まりのため、成田線に乗り換えました。
佐倉での打ち合わせを終わり、先方のご好意で京成佐倉まで送ってもらいました。
成田国際空港方面から来たらしい特急に乗車し、上野に向かいました。
特急車は、先の快速より車両が古く、車内のデザインは全く垢抜けず、
海外旅行帰国者多数が厚かましく席等を占領
していました。
平日にも拘わらず遊びで海外に行って、働いている者を立たせて、わがはドッカと座っているとは、
随分と結構なご身分ですね、と
嫌味や皮肉のひとつも
言いたくなりました。
京成スカイライナーは成田新線を時速160キロで快走し、成田エクスプレスより速いのですが、特急料金が掛かるため大抵の旅行者は先の特急かリムジンバス利用になるのです。尤も関空も似たようなものですが。
京成上野駅はJR側とは反対方向にあるためか、日暮里からはくねくねしたルートでした。そのため京成駅からJRやメトロ駅側に乗り換えるためには、
この長〜い地下道を歩く必要が
あります。
東京メトロ銀座線で上野から宿泊地の田原町まで向かいました。銀座線は電車はともかくも駅はボロです。
ホテルでは先ず徹底的に洗顔、目洗い、鼻洗いをしました。鼻洗いしたら洗面器が真っ黒になりました。
夕食は、浅草や吾妻橋を経由してアサヒビール本社(旧細川藩屋敷)近辺のビアレストランでとりました。
鉄道模型のシーナリーに使えそうな東武浅草駅です。
意外に少ない東京スカイツリーと東武電車の絡みショットです。
アサヒビール本社の炎のオブジェのビルは、
ウンコビルのあだ名が
ついています。
本社ビルの屋上付近の飾りはジョッキに注いだビールの泡の様です。
下品なことを言ってしまいますが、この写真、こうしてみると
ウンコのゲソに
見えてしまいます。
スカイツリーはさしずめ立ち姿がきれいな観音様といったところでしょうか。
小学生だった頃、メトロ浅草駅からこの地下道を通って東武線で日光に行きました。
早朝だったので、この地下街は暗く、浮浪者がたくさん寝ていて、ションベン臭くて、子供心に気持ちが悪かったです。
だいぶ明るくなったものの、雰囲気は基本的に変わっていないと思いました。
スカイツリーラインなどと言ったクリスマスみたいな洒落た名前になっても、
東武伊勢崎線は所詮東武伊勢崎線です。
浅草観音から西新井大師、日光東照宮と、寺から寺への
お遍路列車なのです。
そうなると、スカイツリーは大ロウソクに、ウンコビルは護摩炊き、アサヒビール本社ビルの屋上泡オブジェは坊主の袈裟に見えました。
かの有名な浅草演芸ホールです。
三遊亭円丈と三遊亭鳳楽が名跡争い寄席を行った東洋館はこのビルにあります。
上野鈴本が落語芸術協会(芸協)排除なのに対し、ここは落語協会か芸協など関係なく寄席が出来るようです。
笑点のメンバーは桂歌丸(落語芸術協会会長)など芸協が多いです。
寄席は上席・中席・下席と10日間区切りで出しものを変えて行われますが、31日の末日はどこにも入らないので余一会を開催します。
円楽一門会は、落語立川流と同様寄席を飛び出した流派ですが、今月の余一会に出演するようです。
浅草で有名なストリップ劇場の「浅草ロック座」です。確かビートたけしが売れない時分にここでバイトをしていたと思います。たけしも今は偉くなりました。
前回までと異なり単独行動になるため、朝一の新幹線に乗りました。こののぞみ200号の向こう側には土曜日から運用を開始する新27番線ホームが見えます。
横浜線で橋本まで行く予定が、十日市場から先で強風のため架線にビニール袋が絡み付いたため、その撤去・点検の余波で電車が動かなくなりました。
やむなく中山駅で降りて、タクシーで上溝(番田)まで向かいました。
最初の打ち合わせを終わり番田駅で相模線を待っていたら、更に砂塵が酷くなりました。
橋本から新宿まで京王線に乗り、新宿から中央線特別快速で東京に出て、東京から総武線特急に乗る予定でしたが、橋本発新宿行特急が全運休したため、この快速急行で新線新宿経由で市ヶ谷に出て、市ヶ谷から総武線緩行で錦糸町に出て、錦糸町から快速等で佐倉に向かうことにしました・
それでも、京王線のこの快速急行は笹塚付近で30分以上も停まってしまい、雪隠詰め状態になりました。
京王線のベタ遅れで予定の総武線特急には乗られず、先方には遅れることを伝えて快速で向かいました。
快速は千葉止まりのため、成田線に乗り換えました。
佐倉での打ち合わせを終わり、先方のご好意で京成佐倉まで送ってもらいました。
成田国際空港方面から来たらしい特急に乗車し、上野に向かいました。
特急車は、先の快速より車両が古く、車内のデザインは全く垢抜けず、
海外旅行帰国者多数が厚かましく席等を占領
していました。
平日にも拘わらず遊びで海外に行って、働いている者を立たせて、わがはドッカと座っているとは、
随分と結構なご身分ですね、と
嫌味や皮肉のひとつも
言いたくなりました。
京成スカイライナーは成田新線を時速160キロで快走し、成田エクスプレスより速いのですが、特急料金が掛かるため大抵の旅行者は先の特急かリムジンバス利用になるのです。尤も関空も似たようなものですが。
京成上野駅はJR側とは反対方向にあるためか、日暮里からはくねくねしたルートでした。そのため京成駅からJRやメトロ駅側に乗り換えるためには、
この長〜い地下道を歩く必要が
あります。
東京メトロ銀座線で上野から宿泊地の田原町まで向かいました。銀座線は電車はともかくも駅はボロです。
ホテルでは先ず徹底的に洗顔、目洗い、鼻洗いをしました。鼻洗いしたら洗面器が真っ黒になりました。
夕食は、浅草や吾妻橋を経由してアサヒビール本社(旧細川藩屋敷)近辺のビアレストランでとりました。
鉄道模型のシーナリーに使えそうな東武浅草駅です。
意外に少ない東京スカイツリーと東武電車の絡みショットです。
アサヒビール本社の炎のオブジェのビルは、
ウンコビルのあだ名が
ついています。
本社ビルの屋上付近の飾りはジョッキに注いだビールの泡の様です。
下品なことを言ってしまいますが、この写真、こうしてみると
ウンコのゲソに
見えてしまいます。
スカイツリーはさしずめ立ち姿がきれいな観音様といったところでしょうか。
小学生だった頃、メトロ浅草駅からこの地下道を通って東武線で日光に行きました。
早朝だったので、この地下街は暗く、浮浪者がたくさん寝ていて、ションベン臭くて、子供心に気持ちが悪かったです。
だいぶ明るくなったものの、雰囲気は基本的に変わっていないと思いました。
スカイツリーラインなどと言ったクリスマスみたいな洒落た名前になっても、
東武伊勢崎線は所詮東武伊勢崎線です。
浅草観音から西新井大師、日光東照宮と、寺から寺への
お遍路列車なのです。
そうなると、スカイツリーは大ロウソクに、ウンコビルは護摩炊き、アサヒビール本社ビルの屋上泡オブジェは坊主の袈裟に見えました。
かの有名な浅草演芸ホールです。
三遊亭円丈と三遊亭鳳楽が名跡争い寄席を行った東洋館はこのビルにあります。
上野鈴本が落語芸術協会(芸協)排除なのに対し、ここは落語協会か芸協など関係なく寄席が出来るようです。
笑点のメンバーは桂歌丸(落語芸術協会会長)など芸協が多いです。
寄席は上席・中席・下席と10日間区切りで出しものを変えて行われますが、31日の末日はどこにも入らないので余一会を開催します。
円楽一門会は、落語立川流と同様寄席を飛び出した流派ですが、今月の余一会に出演するようです。
浅草で有名なストリップ劇場の「浅草ロック座」です。確かビートたけしが売れない時分にここでバイトをしていたと思います。たけしも今は偉くなりました。
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